2017年7月7日金曜日

잊혀지지 않네(忘れられないね)






우리들의 아름다운 날들
俺たちの美しい日々

이제는 정말 먼 옛날이 됐지만
今は 本当に 遠い昔になったけど

나의 복잡한 머리 속 한 구석에는
俺の複雑な頭の中 片隅には

미소 짓는 너의 얼굴이
微笑む 君の顔が

긴 세월을 지나 자리를 잡고 있다
長い歳月を経て 刻み込まれている

다시 볼 수는 없겠지만
また会えることはないだろうけど

내가 죽는 그 날까지
俺が 死ぬその日まで

전혀 다시 만날 수는 없겠지만
また会えることは 絶対ないだろうけど

내가 태어나기 전에 살던
俺が生まれる前に 生きていた

화가의 그림을 보듯
画家の絵を見るみたいに

넋을 놓고 기다리고만 있다
ぼんやりとただ待っている


두 뺨을 슬쩍 스치며 지나가는 바람처럼
両頬をそっとかすめ 過ぎていく風のように

대수롭지 않게 여길 수도 있겠지만은
ささいなことのように考えることもできるだろうけど

창 밖을 바라보다 우연히 만난 꽃잎처럼
窓の外を眺めていて 偶然出会った花びらのように

빙그레 웃고 잊어버릴 수도 있겠지만은
にこっと笑って忘れることもできるだろうけど


바라만 보고 있어도 그저 아무 생각할 필요도 없이
眺めているだけで ただ何も考える必要もなく

아주 긴 편지를 받은 것 같은 느낌이 들던
とても長い手紙を 受け取ったような感じがしていた

그때 그날이 아무리 짧았다고 해도
あの時 あの日が どれほど短かったと言っても

두 눈을 질끈 감은들
両目をぎゅっと閉じたとしても

재미난 사람을 여럿 만난들
面白い人とたくさん出会ったとしても

어떻게 잊혀질 수가 있나
どうして忘れることができるの



아주 먼 옛날이 됐지만
とても遠い昔になったけど

미소 짓는 너의 얼굴이
微笑む君の顔が

긴 세월을 지나
長い歳月を経て

나의 마음 속에 자리잡고
俺の心の中へ 刻み込まれ

전혀 다시 만날 수는 없겠지만
また会えることは 絶対ないだろうけど

넋을 놓고 기다리고만 있다
ぼんやりとただ待っている


※繰り返し

어떻게 잊혀질 수가 있나
どうして忘れることができるの





자리를 잡다 =席(場所)を取る
 
 訳では(心に)刻み込まれている、
 としましたが「席を取る」と言う意味が
 あります。

 が、자리를 잡다には広い意味があり、
 腰をすえる、留まっている、
 (心に)根付く、刻まれる…のように

 「馴染んで定着する」と言う
 ニュアンスがあります。

 なので「新しい土地で腰をすえる」と言う
 使われ方などをします。
 これは実際の場所だけでなく、
 人の感情においても使われます。



(그림을) 보듯
 =(絵を)見るみたいに

 動詞語幹+듯(이) と 連用形+듯(이)
 違いはなんだろう…?と、気になり
 聞いてみたところなんとか掴めました。
 どちらも日本語にすると「~ように」と
 訳せるのですが少しニュアンスが
 違います。

 (비가)오듯 VS 올듯 で比較してみます。

 (비가)오듯…(決まり文句的な比喩
 雨が降っているみたいな(汗、など)
 →처럼がニュアンスが近い
 
 (비가)올듯…(推測
 雨が降りそうな(天気)
 →~것 같다がニュアンスが近い


 歌詞では動詞語幹+듯(이)なのですが
 「あたかも(絵を)見ているかのような様子で
 と言う意味です。





 この歌詞は訳してもすぐには意味が
 飲み込めませんでしたが、ゆっくり
 紐解いていくと理解できました。


 『眺めているだけで 
 ただ何も考える必要もなく
 とても長い手紙を 
 受け取ったような感じがしていた
 あの時 あの日が 
 どれほど短かったと言っても』

 この部分…
 とつとつと長い文章なので
 難しかったんですが
 要するに「昔の恋人との思い出」が
 今やまるで現実味のないぼんやりと
 したものであることを
 「長い手紙(を受け取った感じ)」と
 例えている、ということですね。

 独特な世界観です!

 
 切実な後悔や未練たらたらの歌よりも
 今にも消えそうで消えてくれない思いを
 抱えているこの歌詞の方が
 個人的に、より切なく感じます。
 



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Special thanks K-ROOM (和訳チェック)

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