우리들의 아름다운 날들
俺たちの美しい日々
이제는 정말 먼 옛날이 됐지만
今は 本当に 遠い昔になったけど
나의 복잡한 머리 속 한 구석에는
俺の複雑な頭の中 片隅には
미소 짓는 너의 얼굴이
微笑む 君の顔が
긴 세월을 지나 자리를 잡고 있다
長い歳月を経て 刻み込まれている
다시 볼 수는 없겠지만
また会えることはないだろうけど
내가 죽는 그 날까지
俺が 死ぬその日まで
전혀 다시 만날 수는 없겠지만
また会えることは 絶対ないだろうけど
내가 태어나기 전에 살던
俺が生まれる前に 生きていた
화가의 그림을 보듯
画家の絵を見るみたいに
넋을 놓고 기다리고만 있다
ぼんやりとただ待っている
두 뺨을 슬쩍 스치며 지나가는 바람처럼
両頬をそっとかすめ 過ぎていく風のように
대수롭지 않게 여길 수도 있겠지만은
ささいなことのように考えることもできるだろうけど
창 밖을 바라보다 우연히 만난 꽃잎처럼
窓の外を眺めていて 偶然出会った花びらのように
빙그레 웃고 잊어버릴 수도 있겠지만은
にこっと笑って忘れることもできるだろうけど
바라만 보고 있어도 그저 아무 생각할 필요도 없이
眺めているだけで ただ何も考える必要もなく
아주 긴 편지를 받은 것 같은 느낌이 들던
とても長い手紙を 受け取ったような感じがしていた
그때 그날이 아무리 짧았다고 해도
あの時 あの日が どれほど短かったと言っても
두 눈을 질끈 감은들
両目をぎゅっと閉じたとしても
재미난 사람을 여럿 만난들
面白い人とたくさん出会ったとしても
어떻게 잊혀질 수가 있나
どうして忘れることができるの
※
아주 먼 옛날이 됐지만
とても遠い昔になったけど
미소 짓는 너의 얼굴이
微笑む君の顔が
긴 세월을 지나
長い歳月を経て
나의 마음 속에 자리잡고
俺の心の中へ 刻み込まれ
전혀 다시 만날 수는 없겠지만
また会えることは 絶対ないだろうけど
넋을 놓고 기다리고만 있다
ぼんやりとただ待っている
※繰り返し
어떻게 잊혀질 수가 있나
どうして忘れることができるの
★자리를 잡다 =席(場所)を取る
訳では(心に)刻み込まれている、
としましたが「席を取る」と言う意味が
あります。
が、자리를 잡다には広い意味があり、
腰をすえる、留まっている、
(心に)根付く、刻まれる…のように
「馴染んで定着する」と言う
ニュアンスがあります。
なので「新しい土地で腰をすえる」と言う
使われ方などをします。
これは実際の場所だけでなく、
人の感情においても使われます。
★(그림을) 보듯
=(絵を)見るみたいに
動詞語幹+듯(이) と 連用形+듯(이) の
違いはなんだろう…?と、気になり
聞いてみたところなんとか掴めました。
どちらも日本語にすると「~ように」と
訳せるのですが少しニュアンスが
違います。
(비가)오듯 VS 올듯 で比較してみます。
(비가)오듯…(決まり文句的な比喩)
雨が降っているみたいな(汗、など)
→처럼がニュアンスが近い
(비가)올듯…(推測)
雨が降りそうな(天気)
→~것 같다がニュアンスが近い
歌詞では動詞語幹+듯(이)なのですが
「あたかも(絵を)見ているかのような様子で」
と言う意味です。
この歌詞は訳してもすぐには意味が
飲み込めませんでしたが、ゆっくり
紐解いていくと理解できました。
『眺めているだけで
ただ何も考える必要もなく
とても長い手紙を
受け取ったような感じがしていた
あの時 あの日が
どれほど短かったと言っても』
この部分…
とつとつと長い文章なので
難しかったんですが
要するに「昔の恋人との思い出」が
今やまるで現実味のないぼんやりと
したものであることを
「長い手紙(を受け取った感じ)」と
例えている、ということですね。
独特な世界観です!
切実な後悔や未練たらたらの歌よりも
今にも消えそうで消えてくれない思いを
抱えているこの歌詞の方が
個人的に、より切なく感じます。
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